2011年5月の津和野城登城記。
其ノ弐では出丸(綾部丸)までたどり着きました。
ここからいよいよ本城へと向けて出発致します。
ここからは、登山の方もリフトの方も同じ道を行くことになります。
まぁ・・・リフト使いたいと思う人は2011年7月21日まで待つこと!(笑)
ここからは登山道ほどの険しさは無くなっています。
まぁそれだけ皆さんはリフトを使って、
登山道は利用されないって事なのかも・・・。
しばらく歩くとまた森の中のような暗さに。
そしてなにやら広いスペースに出ました。
とくにこの場所は曲輪とかではないようですが、なにか看板があります。
この場所に、碑や津和野城の説明書きがありました。
なぜこんな暗いところに・・・って思ったりします。
「史跡 津和野城跡」についての説明書き。
ここ津和野城は昔、「一本松城」だったようで、さらに「三本松城」になり、
最終的に津和野城になったようです。
坂崎氏が出丸織部丸を作ってすぐに「千姫事件」で改易され、
その後に亀井氏が移封されたとあります。
千姫事件は津和野藩主坂崎直盛が輿入れの行列を襲って、
千姫を強奪する計画を立てていることが発覚したという事件。
お城についての説明の横には城址碑。
さらに横に説明書き。
こちらは地形図入り。
地形図を見て分かるように、
本城まであと少しとなっています。
さて、あと5分で本城。
すでに膝が笑う。
帰りのこともあって気が重いですが、行きましょう(笑)
このあたりから、山道にも石が多くなり勾配が少しだけきつくなります。
さて、登山口から出丸に立ち寄り35分。
ようやく本城の石垣が見えてきました。
よくみると、足場が組まれ・・・
なんだか工事中の雰囲気がする本城入口付近。
この工事中でよく確認できない場所が津和野城の「東門」跡です。
説明書きを見て分かるように、坂崎氏以後は大手門とされていた場所です。
東門をはいってすぐの左側は「腰曲輪」と呼ばれていたそうです。
手前は二の丸石垣。奥の石垣は天守台。
そして東門奥の「三段櫓」の跡。
こちらに補強がされているので、石垣が崩れたのでしょうか?
とにかく正規のルートは通行止めとなっておりました。
このあたりのイメージを掴むには、
リフト茶屋にあったこちらのイメージ図が把握しやすそうです。
本来なら東門をくぐり、三段櫓下の西門をくぐり、二の丸に行くところ、
この足場を使うと東門から二の丸へショートカットされるわけですね。
仮説の足場を歩いていきますと、
目の前には天守台の石垣がよく確認できます。
津和野城の天守は、一番高い曲輪より下の段にある特殊な形。
ということはまだここより高い石垣が存在するということなんですね。
仮説の橋を渡りきって二の丸に来ました。
この二の丸を進んでいくと、太鼓丸に出るそうです。
しかし、現在はネットで阻まれ通行出来ないようになっております。
そして二の丸からの三段櫓跡。
この場所に「西門」もあったとされています。
ちょっと立ち入り禁止みたいになっており、詳しくは確認できず。
そして次回、天守台へと続いていきます。
【津和野城登城記】
- 【登城記】津和野城(日本100名城 No.66) – 其ノ壱
- 【登城記】津和野城(日本100名城 No.66) – 其ノ弐
- 【登城記】津和野城(日本100名城 No.66) – 其ノ参
- 【登城記】津和野城(日本100名城 No.66) – 其ノ四
- 【登城記】津和野城(日本100名城 No.66) – 其ノ五
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【津和野城についてはこちら】
日本100名城 No.66 【島根県鹿足郡津和野町】津和野城