いよいよ熊本城の登城記も佳境です。
加藤神社のあとに向かったのは、天守からも遠くに見えた物産展の場所へ。
奉行丸という西出丸の南、西大手門と南大手門の間にある曲輪へとやってきました。
そこにはなんだか某ミドリの着ぐるみのアレっぽいものとお城のようなものが・・・
奉行丸は加藤期には無かったようです。
細川期に奉行所が置かれたからこの名前だったようです。
中では物産展。
しかしながら午後5時までだったようで・・・すでに店じまいだったり、叩き売りタイムだったりで人出は少なくなっていました。
まぁいくつか気になるものもありましたが・・・
私はこのとき、お腹の調子が下降気味でした(笑)
さて、そんな奉行丸からは飯田丸五階櫓も見られます。
忍のような少年もおりました・・・
なにやってるんだ少年・・・。
フワフワのお城のようなもの・・・忍者城という名前でした。てっぺんに忍者居ますね・・・
入りたそうにしている大人が居ますが、子供しか入れてもらえません(笑)
ちなみに奉行丸からもほのかに天守閣が見られます。
まだ最上階に人がいっぱいですね・・・
さて、奉行丸をあとにした私たちは、隣の南大手門から出ていくことにしました。
南大手門は木造の櫓門で、平成14年に復元されました。
ちなみに三箇所あったらしい熊本城の大手門の中では一番大きかったそうです。
南大手門を出ると、目の前には南坂が続きます。
南坂の横にも道がありますが、江戸時代はその途は無く、この南坂を上りお城に入ったようです。
なかなか急な坂ですよね。
南坂からそのまま合流した坂を下って行きます。
よこにお堀が見えますが・・・
ここを備前掘と言います。
水面に写っているのは飯田丸五階櫓。
どうやら加藤家の時代にここに屋敷を構えていた佐々成政が屋敷を「備前屋敷」と称したかららしいです。
備前堀の方に降りると、そこは飯田丸五階櫓のベストスポットでした。
飯田丸の名称は加藤清正(かとうきよまさ)の重臣、
飯田覚兵衛(いいだかくべえ)が管理していたことからこう呼ばれるようになったそうです。
平成17年に復元された櫓です。
備前堀前からは大天守も入って良い撮影スポットですね。
ちなみに五階櫓のあるあたりが飯田丸でした。
次回はいよいよ熊本城登城期の最後となります。
【熊本城登城記】
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ壱
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ弐
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ参
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ四
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ五
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ六
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ七
- 熊本城(日本100名城 No.92) – 其ノ八
【熊本城 についてはこちら】
日本100名城 No.92 【熊本県熊本市】熊本城