2010年岩村城の登城記もいよいよ最後となります。
前回、ようやく本丸に辿りつきましたが、今回はその続きから。
さて、岩村城址の一番高い部分に到着しました。
本丸内に建物の遺構はございませんが、石垣がよく残っています。
そして岩村城と言えば、備中松山城や高取城と並ぶ日本三大山城のうちのひとつ。
その中でも「海抜721メートル」という高さは、三大山城の中でも一番高地なんだとか。
高取城が583メートル、備中松山城が430メートルというので・・・ダントツの高さ。
岩村城の本丸には、天守閣が無かったそうです。
本丸にはその他に、歴代城主の慰霊碑。
なお、この位置には2階か3階の櫓があったとか。
海抜が修正されていますね。どちらが正しい表記なのか?
なんだか100円入れると説明をしてくれるらしい放送施設を発見。
100円入れてみようと思ったのですが、あまりに動かなそうなので止められました(笑)
それ、動くよ!という証言がありましたらお知らせ下さい(笑)
そして本丸内にも「昇龍の井戸」という井戸がありました。
山城と言えば水源に困るものですが・・・岩村城には本当に豊富な井戸がありますね。
そしてベンチの近くにはなにやら黒いテーブル。
でもよく見てみると・・・
岩村城歴史方位盤というものが。
どうやらどっちの方向に何があるかを示しているものでした。
さて、休憩もしましたので、いよいよ下山することに。
下山は本丸の搦手口から出ることにしました。
こちらが裏門にあたる搦手門跡です。
こちらも埋門の形式になっています。
なお、こちらの門の周辺は野面積と打込ハギ、切込ハギの3種の石垣の積み方が一気にみられるそうです。
野面積の部分は一番古くに作られたもので、
何回か改修していくうちに積み方が最新のものになっていったようです。
埋門に関する説明。
大地震で石垣が倒壊したようですね。
埋門から出たその先は、当時は二の丸だったようです。
現在はすっかり木が育っていますが、この場所には米蔵や武器蔵・番所なども設置されていたとか。
なぜか下に落ちていた弁財天社跡の看板。
二の丸にあったのでしょうか?
さて、埋門を出てから石垣に沿って二の丸部分を歩きます。
この先に行くと、六段壁の部分に出るのです。
ちなみに反対側に歩いて行くと出丸の方へ行けます。
ちなみにこの先には
二の丸櫓門が建っていたようです。
右手では軍馬を飼育していたとか。
さて、再び六段壁に戻ってまいりました。
ここからは来た道を戻って下山となります。
行きは50分ぐらいかかりましたが・・・
帰りは行きほど写真も取らないのですんなり降りられます。
下山はここまでだいたい20分ぐらいでした。
やはり上りもすんなり登れば20分ぐらいで行けそうですね。
以上、岩村城登城記でした。
殆どが山道のレポートでしたが・・・(笑)
最後に下山して、岩村歴史資料館のすぐ近くにあったこの「岩村山荘」で休憩しようと思ったのですが、
どうやら予約客しか基本的に対応していないのと、お値段がお高い感じだったので諦めました。
「寒天豚」が気になったのですが・・・なんだったんだろう?
登城記は以上ですが、この後に岩村城下町を巡っていきます。
【日本100名城スタンプ】
【岩村城登城記】
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ壱
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ弐
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ参
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ四
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ五
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ六
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ七
【岩村城周辺寄り道スポット】
【岩村城についてはこちら】
日本100名城 No.38 【岐阜県恵那市】岩村城