岩村城の登城記も「其ノ弐」に続き、いよいよ登山口へと。
いよいよ城攻めを開始です。
この目印の岩から右手へと進んでいくのがルートのようです。
案内図はアバウトですが・・・
ここから本丸までは20分らしいです。
ここから、本丸までのキョリでしょうか?
ところどころに「七百米」などが表示されるようになります。
ここも熊出没注意です。
山城にはよくある光景ですね・・・本当は鈴とか装備しないといけないですが。
あ、ちなみに善意の杖を見つけられませんでした(笑)
まだこのあたりは近年の舗装という感じがします。
しばらく歩くと下田歌子勉学所という門が見えてきます。
門から中を除くと建物が。
下田歌子は子供のころ、神童と呼ばれるほどの女性だったそうですが、
女性は「知新館」で学ぶことが許されなかったため、ここで学んだとか。
ちなみに現在の建物は復元されたものなんだそうです。
近くには下田歌子の像もありました。
そして略伝も。
知新館に入れなかった反発から、後に実践女子学園を作るんですね・・・すごい人です。
近くには岩村町の偉人十傑。
岩村城を作った加藤氏から、先ほどご紹介した下田歌子や佐藤一斎。
そして女城主も選ばれています。
織田信長の叔母であり、夫の遠山影任が亡くなってからは城主として岩村を守った女性です。
さて、まだ実は山の中に入っていません(笑)
いろいろ見るべきものが多くて・・・。
さて、下田歌子の反対側には今度はまだ像が。
こちらは三好学博士。
天然記念物保存の立法化をし、菖蒲や桜の研究をされた方なんだそうです。
三好学像のすぐ横には菖蒲園が。
まだ咲き始めという感じでしたが・・・もうしばらくしたら満開なんでしょうね。
さて、やっと山道に入りました。こちらの最初の坂を「藤坂」というそうです。
まだ石畳は続きます。
藤にまつわる伝説がいろいろあるらしいです、藤坂。
ちょうどこのあたりが「六百米」です。
藤坂を登っていくと、途中で道が折れます。
ちなみに岩村のこの林は国有林なんですね。
藤坂を登っていくと、最初のもんである「初門」があったとされています。
途中に分かれ道。
しかしながら右手の道は閉鎖されていました。
こちらは初門跡です。
戦争になるとここに急造の門を作り、初門としたそうです。
この時点で本丸まで五百米。
まだまだ先は長いです(笑)
さて、「其ノ四」でもまだまだ山道は続きます(笑)
【岩村城登城記】
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ壱
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ弐
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ参
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ四
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ五
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ六
- 【登城記】岩村城(日本100名城 No.38) – 其ノ七
【岩村城周辺寄り道スポット】
【岩村城についてはこちら】
日本100名城 No.38 【岐阜県恵那市】岩村城